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このプロジェクトのプロフィール

2019年のうちに会社の仕組みを大きく変えるにあたって、私の見解では、引き継ぎ初期の2018年5月から数回に渡って社員のヒアリングをした結果、根本的な問題が大きかったことを健太郎さんと佳織さんに報告した。ここが親族会社だからということだけでなく、日本の集団活動の特性かもしれないが、よく言えば家庭的、悪く言えば村社会。働く環境として、仕事よりも日常の鬱屈がスタッフのモチベーションを削いでしまう問題。先代の古い経営の秩序を新しい経営方針の秩序にどうやったらうまく融合できるか。部署や勤務形態の違いを超えてメンター制度の導入と人的資源開発もしてゆく。できる試みから始めた。

 今まで続いてきたことがこれからもずっと続くなどとは、ふたたびコロナ感染拡大のまっただなかにあっては誰も信じない。この機会に自分の脚で立つ、独自のクリエーションにそれぞれが目覚めなければ、集団に依存する行動はもはや無力かもしれないと思い始めたこのごろ。サイトの構築を通しての田邊さんの変わりように加えて、D_warehouse を設計の段階から携わってできあがるとすぐに飛び立った、もうひとりのデザイナー、彼は後に辞めた人なのでイニシャルで呼ぶが、Mさんのことに思いを馳せた。

 2018年最初の面接の記録を読み返せば「Mさんはとても素直な人でした。いっぱい悩んでいましたがどれも悩む必要のないことばかりで、デザインの方法と役割と責任範囲の認識が違っていただけです」と報告している。彼は田邊さんの先輩にあたる。シニアデ・ザイナーとしてのポジションへの愛着と将来性への葛藤でいっぱいになっていた。気分転換に夏休み前に社内のレイアウトの変更作業をお願いした。

 個別に話をすると、どの人もじつに優秀で実直な人たちなのだった。会社が不満だったら自分たちでさっさと仕事を作って独立しようと考えたことはないの? と聞けば、う~ん。みたいな。そうか、会社とともに生活してきただけで、まだ一度も面白い目にあったことがないんだね。本当にもったいない。

 健太郎さんに話をして、私と一緒に倉庫をリフォームする設計監理係に、デザイナーをひとり付けてくれと頼んだ。「M君を担当させます」と。こうなったら方法はひとつ、持てる能力の発露する機会を与えるのみだ。顧みれば、私がデザイン思考のトレーニングをスタートさせたのはこの仕事が最初だった。

 D_warehouse の足場(プレイス)となる旧D倉庫の図面を取り寄せてすぐ、これからどうするかをざっとブリーフィングした翌日にMさんはどこからか転載したフローリンをPhotoshopを使って制作したとおぼしき完成予想図をメールに添付してきた善意であるやる気である。どうしようかなと悩んだが、デザインの根本の問題なので、時間をおかずに今すぐ電話直接声を発して、彼の反応も感じたい。

「もしもし。おはようございます。拝見しました。あれはなに? まだスケッチも出していないのに」「すみません。先走って」「先走ってなんかいないわよ。あんな安っぽいデザインをするつもりないもの」「私が勘違いして、すみません」と平謝りでは埒が明かない。「次の打ち合わせまでに、なにを私が怒っているか、自分は何を間違ったのか、箇条書きにしておいで」「はいっ」の応答で受話器を置いた。

 

 いきなりがつんと出鼻をくじかれて、彼は次の打ち合わせに臨んで、ノートに自分の問題点を10項目も書いてきた。「そんなにいっぱいはないよ。2つくらいかな」これからいちばん重要なアイデアやデザインのやり取りを始めようかという時に、なぜこんな陳腐な完成予想図を作る必要があるの? 訳の分からないおっさん相手にプレゼンするみたいなこと、何か勘違いしてるんじゃない? 顔洗って出直しだよ。

 以来、よけいな自意識が取り払われたようで、彼と私の仕事は以心伝心。図面片手にひとつひとつの寸法を細かく拾って配線や配管の詳細も几帳面に写真に記録していた。リフォームの場合は時間の経過もあって、当時の設計図と寸法が違っていることがある。ましてや熊本地震後のことだ。採寸の細かさがものをいう。今までスポーツ用品の製図をして工場に指示していた能力をいかんなく発揮して、いい感じに。

 あるとき彼は、この仕事は本業外なので勤務終わって自宅でしているのだと言う。「それはかわいそうでしょう。これは新しい事業への初期投資と考えて、勤務時間扱いにして」と健太郎さんに提言した。

 持って生まれた優しさか、物腰は柔らかいのだが、各現場の成り行きまかせの理不尽に妥協はしないのだった。ここ、ちがっています。すみません、やりなおしてください。ありがとうございました。くまモンみたいに気持ちの尊い人だなと親しみ覚えたころ、Mさんは現場の最後の仕事を終えると退職した。詳しい事情は話してくれなかったけれど、彼がそうしたいというのなら間違いないのだろう。


 最後の日を迎える直前だった。彼の気持ちに私は触れず、D_warehouseのロゴマークを、ありふれて美しい書体の Helvetica に決めたので、タイポグラフィの仕上げを頼んだ。文字同士のカーブの隣接するところをほんの少し縮めて、ベースラインがきれいに見えるように整えてもらった。Dのシンボルマークとカラーも決定されて、ああすてきね。Mさんの足跡はホームページ作りのデザインソースとなった。

 その後、佳織さんは D_warehouse の運営をしながら、同時にスタッフの働き方やポジションを変えてゆくことに着手していった。その切磋琢磨の経過は次号でたっぷり佳織さんに書いてもらうとしよう。

 2019年7月、皆が一同に集まって、健太郎さんと佳織さんからの新体制発表を前に、スタッフの心の持ち方を案じて私は宣言した。「私はこれまでに、大きい会社や小さな会社のさまざまなプロジェクトやコンサルティングに外部参加してきました。そしてひとつだけはっきり言えるのは、どんなに能力のある集団でも、そこで働く人たちが勢力図を作るようになったら終わり。絶対にうまくゆきません。会社は政治をしに来るところではありません。仕事をするための場所です。」

 一同唖然。これが私と、スタッフとの全体ミーティングの最後の時間となった。

新・仕事生活を自分らしく推進してゆくための船上の葛藤を、是非皆様の日々にも役立てていただき、この船に一緒に乗り組みたくなったらどうか、ご意見などたまわりますよう。

D_warehouse に寄せて_3 関口晴美 living explorer・生活探検家

creative director harumi tsuda  ,  web designer hiroki tanabe